その後のファミリーヒストリー その四

こんばんは。
新店長です。

さらに「その後のファミリーヒストリー」は続きます。

やっとこのことで、N様にとって満足のいく形となって戻ったファミリーヒストリーの主役であるEDMONDの懐中時計。その報告メールを目にして、ここでまた私は再び安堵感。

4月22日にこんなメールを返しました。

「ご連絡いただきありがとうございます。
EDMONDの懐中時計、とても気になっておりました。

しっかりと懐中時計として時を刻んでいるとのことで、大変安堵して今は胸をなでおろしているような状態です。

最初に、懐中時計にまつわるご家族、ご親戚の方々についての温かいお話や昨年が記念すべき年だったことなど、すばらしいお話を頂戴いたしました。

その後、EDMONDの写真とそれから実物が送られてきて、実際に拝見したときには、正直「本当になおるだろうか」と不安に思いながら、修理部門に転送しました。

また、装飾部分と機械部分の取り外しと装着のご依頼を受けたときにも、その時々でさまざまな不安がありました。
しかし、おそらくN様の、“何としてでも自分で身につけて使用する”というあの熱意に押され、EDMONDの懐中時計が、しっかりと息を吹き返したのだろうという気がしてなりません。

私のほうは、最初のころは店長になったばかりでオタオタしていた状態だったのですが、いろいろと良い勉強をさせていただきました。

懐中時計がいつまでも時を刻むようお祈りしています。
何か問題が発生しましたら、お申し付けくださいませ。」

すぐさま、N様からお返事のメールが届きました。

「大変ご心配をおかけしました。

物にあふれた現在、物の価値は人それぞれですが、決して金額で表される側面だけでなく、その物自体に込められた思いも大きな価値であると思います。

御社が新しい懐中時計を販売することで利益優先し、「修理不可能」とおっしゃったなら、素人の私はあきらめて「遺品」として仏壇の引き出しにしまい込んだと思います。

正直な話、同じくらいの金額で新しい懐中時計を手に入れることができたかもしれません。
でも、それでは私の手元に帰って来た懐中時計たちが持っている歴史は永久に途絶えてしまいます。その価値は、私たちだけのお金では買えない価値です。

ほとんどあきらめていたのに、直してくださった事で私の思いも大きくなりました。
その上、「やめた方がいいのではないか」と提案いただいたほど無謀なわがままを聞いてくださり、私はすっかり信頼を寄せました。

今後、私が次世代に語り継ぐ折には時計そのものの歴史と「修理できた職人さんの技術」も一緒に語りたいと思います。
多くの人の思いと手によって半世紀ぶりに現役復帰した2つの懐中時計をとてもいとおしく思います。大切にします。

また、定期健康管理をお願いします。
改めて、祖父母の遺品が「懐中時計」だったことと、御社とつながりが持てたご縁に感謝します。

「時計」が持つシンボリックな思いや価値を大切にし、御社がますますご発展されますことを祈念しております。

ありがとうございました。  N」

感激しました。
改めて、N様にお返事を差し上げました。

「お忙しいところ、ご連絡ありがとうございました。
そして身に沁みるお言葉ありがとうございます。

EDMONDの修理に関しましては、「やめた方がいいのではないか」と提案するべきではなかったかもしれず、ただ単に店長になりたてで臆病だったのかもしれません。

優秀な修理部門が背後にいると、もっと自信を持つべきだったかもしれません。
いずれにしましても、今回のご依頼で、改めてわが修理部門の実力を再認識でき、今後は皆様のバラエティーに富んだご依頼を、自信を持ってお引き受けできるのではないかと感じました。

現在、個人的にあわただしくしているため、ブログの更新がままならない状態ですが、落ち着きましたら、また“その後のファミリーヒストリー”として、ブログ記事とさせていただこうと思っております。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」

続く…