アンティーク懐中時計のはじまりの話

金側はなかった最初のアンティーク懐中時計

ブリテンによると、16世紀につくられたアンティークの懐中時計で、今も残っているものには、金側も銀側もなかったそうなのです。今のコレクターで、金側でなければ懐中時計ではないという気になっている人たちには大いにがっかりすることでしょう。

ブリテンはその理由として、金細工師のギルド(組合)は金や銀の地金を使ってケースや部品を作るときには、金細工師の刻印のあるものを使え、と主張し譲らなかったからだといいます。

中世の職人たちは、それぞれ業種ごとに親方が集まって組合をつくります。これがギルドです。ここではある地域内での親方、職人、徒弟の人数を制限し、養成方法、年限、試験方法を決めます。そして、組合員以外に技術をもらすことや、組合員以外のものが業務に参入することを禁止する特権を得ていました。

時計製造は、金細工師や鍛冶職、錠前職などのギルドが成立したあとに、かれらのギルドから分かれてでてきました。後発のギルドは、いたるところで古いギルドの利害とぶつかりますが、立場も強くはありませんでした。時計師たちはやむを得ず、金や銀側のケースを下げて、ブロンズに金メッキしたケールを使ったといいます。

金側 懐中時計

しかし、金側や銀側のケースでなかったことは、必ずしも時計にとって不幸ではありませんでした。後の時代になって、貴重品であった金や銀は溶かされて、他の細工物に転用される憂き目をみましたが、古い時計は金製品ではなかったために、そういう悲劇にあわないでのちの世まで残ったのです。

16世紀からは、文字盤やケースに彫刻が施され、17世紀になるとエナメルの細密画で飾られることが多くなりました。時計は実用性よりも草食性が重視されるようになったのです。

17世紀の1675年ごろになって、初めて衣服にポケットがつけられるようになりました。懐中時計はそこに収められ、直接人目に触れにくくなったのです。しかし、それまでは時計は首や腰に吊り下げられていたので、装身具としての装飾性が重視されたのは理解できます。

つまり、初めのころの懐中時計は、携帯性の時計ではあっても、ポケット・ウォッチではなかったということです。