【栄誉ある懐中時計たち】王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

今では君主制をとっている国は少なくなりました。
かつてのヨーロッパには、イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、イタリア、オーストラリア、ベルギー、ポーランドなどで王家が元首として君臨していました。権力と富貴を掌握していた王家は、著名な時計師を御用達に指定し、特別な関係を結んでいました。

日本でも今はなくなった吉沼又衛門商店や銀座の天賞堂、服部時計店(精工舎)が、宮内庁御用達でした。
吉沼は時計商のかたわら掛時計の工場を持ちましたが、懐中時計は作りませんでした。天賞堂はTENSHODOブランドの時計を販売しましたが生産はしませんでした。
服部時計店だけが精工舎をかかえて、エキセレントや17型セイコーシャを生産し、恩賜の銀時計に使われたり、鉄道時計を政府におさめるなど、政府との密接な関係を結んでいました。

王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

イギリスでは、ラッセル父子商会のほか、J.W.ベンソンが有名です。
ベンソンの時計には、女王陛下の時計製作あるいは女王と皇太子の時計製造のJ.W.ベンソンという彫りが入っています。
今の時計愛好家からは、あまり注目されていませんが、100年前には第一級のブランド品でした。
直径5.0cm。

王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

18世紀のころ、クロノメーターの研究に功績のあったウイリアムの孫、チャールス・フロドシアムは1810年の生まれ。
J.R.アーノルドと協力して補正テンプやヒゲゼンマイを改善し、いくつもの技術上の論文を残しています。
エリザベス女王のクロック・メーターと指定を受けています。
直径5.8cm。

王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

イギリスの海軍省御用達という時計もあります。
海軍省は、航海用の精密時計であるマリン・クロノメーターを必要とします。
経度のハリソンとまで言われるクロノメーターの開発者・ハリソンの時計を手本にしてラーカム・ケンダルはK1、K2などと呼ばれるクロノメーターを作りました。
一方、イギリスの国会議事堂を飾る大時計ビッグ・ベンの製作者デントとが、共同して作ったケンダル・アンド・デント商会は、たくさんの時計を海軍省御用達の肩書きをつけて作っています。
この時計は鍵巻きとしては後期のもので、スイス・メイドになっています。
銀側、片蓋。
直径5.0cm。

王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

王家御用達の懐中時計

第一次世界大戦まで、ロシアではロマノフ王朝が栄えていました。
最後の皇帝ニコライII世は皇太子のとき、艦隊を率いて来日、大津で警備の警官津田三蔵に襲われ負傷、日露の関係を悪化させ、日本政府を多いに狼狽させました。
1904年~1905年の日露戦争のときのロシア皇帝、そして第一次世界大戦のあと、ロシア革命で処刑されるという数奇な運命にももてあそばれています。
ロシア語で、中蓋にパーヴェル・ブーレ、陛下の宮廷の御用達という文言と、ロマノフ家の紋章である双頭の鷲が大きく彫られています。
パーヴェル・ブーレ商会は、セントペテルブルグ、のちのレニングラード、今またサンクト・ペテルブルグと名を変えた町のネフスキー通りに1849年から59年まであったという記録が残っています。
おそらく1917年に始まるロシア革命までは、繁栄を続けいたのでしょう。君主制の崩壊とともに、宮廷御用達の栄光は消えてしまいました。
1789年のフランス革命で、ブレゲがパリを追われてスイスに亡命したように、革命はかつての栄光を担った御用商人に、大きな打撃を与えたのだろうと思われます。
しかし、彼らが作った時計や彼らが売った時計は今に至るまで、その栄光を失ってはいません。
直径5.7cm。

天賞堂のレビュー

天賞堂のレビュー

天賞堂のレビュー(REVUE)です。
銀座の天賞堂は、1889年ごろ江沢金五郎さんが創業した古い時計店です。
1894年の雑誌広告によると、御用達と敬称の肩書がついています。
その天賞堂はいつごろかREVUE WATCH TENSHODOと文字盤に書いた懐中時計を販売しています。
スイス製、アンクル脱進機、切りテンプ7石入り。
プラチネット側と彫ってあるのは、ニッケルのことでしょうか。
日本におけるショップ・ウォッチ(※)の元祖と思われます。
直径4.1cm。

※ショップ・ウォッチ
明治時代の掛時計、置時計、懐中時計はすべてアメリカ、スイス、ドイツなどの時計を買ってコピーしました。全く同じように作り、ペットネームもできるだけ西洋のものにまぎらわしく作られました。それを完全に脱皮したのは、第一次世界大戦後のことになります。

セイコーシャの懐中時計

セイコーシャの懐中時計

同じ銀座に店をかまえる服部時計店(和光)は、1881年に始まった時計店です。
製作部門である精工舎が、最高級の懐中時計として作ったのが17型セイコーシャ、いわゆるセイコーシャ・ナルダンでした。
当時、時計の高級品はアメリカ製やスイス製の評価が高く、国産品が進出することは困難でした。
服部金太郎氏は政府高官に17型を贈って、その使用を願ったり、恩賜の銀時計に採用させるなど、需要の拡大に努力しましたが、それほど売れず、生産量も伸びませんでした。良い品物でしたが、薄型の製作は当時の精工舎の技術では無理だったという批判もありました。
数が少ないこともあって、今ではなかなか難しい時計で、セイコーシャ製品のコレクションをするときの大きな障害の一つになっています。
クローム側、16石、5姿勢調整。
直径4.3cm。