【栄誉ある懐中時計たち】献辞のある懐中時計

献辞のある懐中時計

人の世は、一人では生きられない。
友人、知人、先輩、後輩や身近な家族の喜びを自分の喜びとして祝い、記念として時計を贈ります。
これも時計が貴重品であった時代の習慣でした。
贈られた時計は、その人の生涯を飾ることにもなります。

献辞はその喜びを長く伝える記念碑でした。
腕時計の時代になると、時計が小さくなって献辞が彫りにくくなり、彫ってある裏蓋がベルトでかくれるようになって、だんだんこの習慣が消えてしまいました。

献辞のある懐中時計

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1920年のクリスマスに、パーシーという青年が、両親の祝福を受けてプレゼントされたハーフ・ハンターケースの銀側懐中時計です。
パーシー青年は、大学を卒業して社会人になった初めてのクリスマスと思われ、金側ではなくて、銀側なのも若い人に似合っている感じがします。
直径5.0cm。

献辞のある懐中時計

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1939年にウエア・フットボールチームの仲間から贈られたデボンショアー青年のシーマの銀の懐中時計です。
イギリスとフランスがドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まった年にあたります。
チームの仲間が抜けるたびに、時計を別れのしるしとして贈るとは考えられません。
デボンショアー君は、もしかしたら召集を受けて入隊し、戦地に向かうためにチームから離れたのではないでしょうか?

献辞のある懐中時計

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出征する人もいれば、やがて凱旋する人もいます。
ジラード君は、生まれ育ったキンカーデンの町から、オメガの懐中時計を贈られた。
時計には、「1914年から19年にいたる大戦において、海外で尽くした忠誠に対して」と刻まれてあります。
第一次世界大戦のことです。
裏蓋には大きくAとCのイニシャルが彫られてあります。
かなり大きい金張りの懐中時計です。
直径5.5cm。

献辞のある懐中時計

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O.G.ミルンさんは、長年働いていたマクドナルド社を退職します。
同僚たちはこぞってお金を出しあい、銀側の懐中時計を贈りました。
ロンドンのジョン・ホレストという時計師のサインが入っています。
作られたのは1901年で20世紀の始まった年。
ミルンさんの退職は1902年12月のことでした。
年老いて会社を去り、おそらく隠居生活に入ったのではないでしょうか。
直径5.4cm。

献辞のある懐中時計

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密やかに夫婦二人の間でのプレゼントの交換にも懐中時計は使われます。
ミスター・ビルは、愛するアリスから銀婚式の記念に、ウォルサムの金時計を贈られています。
テンプ押さえにダイヤモンドの受石を入れたバンガードの19石入り。
バンガードはリバーサイドとならぶウォルサムの中でも高級品です。
おそらく金ぐさりもついていただろうと思います。
この懐中時計を前にして、成功した夫婦の25年間の喜びも苦しみも語られたことでしょう。
ビル氏からアリスさんに贈られたものは何だったのかなどと想像するのも楽しいものです。
直径4.8cm。

献辞のある懐中時計

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苦しいことも楽しいこともあるのが結婚生活です。
ビルとアリスの銀婚式よりも長く結婚50年を迎えたチャールズ・リレイ夫妻には、苦難を乗り越えてきた安定感が強かったのでしょうか。
長年家事を取り仕切っていた執事のモバリーに対する感謝の気持ちがよみがえります。
夫妻はスイス製の金張り懐中時計をモバリーさんに贈っています。
時計には金婚式の喜びを、夫婦のために長年尽くしてくれたモバリーにもわけたいと刻まれてあります。

献辞のある懐中時計

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最後に取り上げるのは、老いたパパに子どもたちが贈った銀側の平凡なスイスの懐中時計です。
中蓋には誰の名前も刻まれてありません。
ただ、「ダーダへ 1916年12月6日」とだけ刻まれてあります。
妻や子どものために長い年月、地道に働き続けたパパが長年使っていた、古びた懐中時計の代わりを誕生日に贈ったのでしょう。
親しい親子の間には、あらたまって名前を刻む必要はありません。
豊かではあったかもしれませんが、あたたかい父子の愛情の通い合った姿が目に浮かびます。