【栄誉ある懐中時計たち】天皇から下された恩賜の懐中時計

天皇から下された恩賜の懐中時計

恩師の時計には二種類あります。
一つは、天皇の功績のあった重臣たちに下さった金時計です。
西郷隆盛、伊藤博文、東郷平八郎、乃木希典など文武の高官に限られます。
明治天皇は金時計が好きで、たくさんのコレクションを持たれていました。
多くは菊の紋章が刻まれていたといわれています。

中には、あえて進言をした藤波という侍補に賞として金時計を下されました。
しかし、数日たってから天皇は、あれは大事な時計だから、ほかの時計をやるから返してくれといわれました。
藤波侍補はそのとき、天皇のお言葉は汗のようなもので、元にはもどりません、といって断ったそうです。
天皇も好きで集めたコレクションなので、あれは手放したくないという時計もあったはずです。

もう一つは、官立学校の優等卒業生にくださった銀時計があります。
よく帝国大学卒業生の場合が引き合いに出されます。
始められたのは、陸軍士官学校1894年の五期卒業生からです。
その後、陸軍幼年学校、整理学校、富山学校、騎兵学校、海軍の水雷学校、砲術学校、工機学校、経理学校などに広まっていきました。

東京帝国大学は1899年、京都帝国大学は1901年からの記録があります。
九州帝国大学、東北帝国大学、学習院、東京商船学校にも恩賜の銀時計がありました。
ただ、帝国大学は1918年度からは恩賜を辞退し、卒業式も取りやめてしまったので、比較的短期間で終わっています。

しかし、四帝国大学で銀時計を受けたのは推定458人で、これらの人たちは恩賜の「銀時計組」といわれ、エリート中のエリートでした。夏目漱石は、これを立身出世のための「天皇の保証」と呼んでいます。

恩賜の銀時計は、初めウォルサム、エルジン、ゼニスなどのアメリカ、スイス製でしたが、1907年からはセイコーシャのセキセレントが、1930年からはセイコーシャ17型が使われました。

ウォルサム 14サイズ 7石

ウォルサム 14サイズ 7石

ウォルサム 銀側

ウォルサム 銀側

セイコーシャ エキセレント

セイコーシャ エキセレント

セイコーシャ 17型

セイコーシャ 17型

セイコーシャ 17型

セイコーシャ 17型

恩賜の時計は、今でも時々市場に姿を見せます。それらには裏蓋に「御賜」という彫りがあるだけで、受賞者の名前、出身学校、卒業年次は刻まれていないので、売れやすいからだと思われます。

軍関係を含めると、全体で3600個から4700個ぐらいになると推定されます。戦前、戦時を通じて日本で最高の栄誉に輝いた懐中時計だったといえます。

なお、セイコーシャの「マーシー」という小型の銀側懐中時計に「御賜」と刻まれた時計や、シチズンの16型ニッケル懐中時計に「賜」と刻まれた時計もあります。

セイコーシャ 19型

セイコーシャ 19型

シチズン 16型 15石

シチズン 16型 15石

シチズン 16型 15石